おはようございます。棒磁石(@magnet_med)です。
突然ですが、これを読んでいる皆さんのご出身はどちらでしょうか。
私は東京出身ではないのですが、大学進学を機に東京へと移ってきました。
それから今日まで、都会の生活を楽しいと思うと同時に、

あれ、自分が暮らしていた世界って、あまりも視野が狭かったんじゃないか?
と考えるようになりました。

地方って、コンビニや買い物が無くて不便だけど、ゆったりとした子どもが育ちそう!
そう思っているあなた、ちょっと待ってください。
伝えたいことがあります。
今日は「知的好奇心」をテーマに、都会と地方の教育に関する格差について伝えたいことを書いていきます。
なぜこんなことを書くのか
ずっと地元で育ってきた私
私は、東海地方の出身で、県庁所在地からは少し離れた町で生まれ育ちました。
特別に貧しいわけでもなく、裕福なわけでもなく、よくある地方の家庭です。
親に育てられ、近所のおばさんともコミュニケーションを取りながら、自分の見ている世界が一般的なものなんだと思って生きてきました。
市内の保育園、小学校、中学校、高校まで通い、偶然にも大学進学を機に東京まで出てきました。
少なくとも高校進学までは、「地元に残って、地元で暮らし続けるのかな」と思っていたんです。
東京に出てきて
大学進学を機に、たまたま都会に出てくるとどうでしょう。
都会の人の多さや夜も眠らない街、満員電車にはびっくりしました
しかしそれ以上に驚いたのは、同級生との育った環境の違いです。
都会出身の同級生は、たくさんのことを知っています。
知識のことだけでなく、大学生として今後どう生きるか、キャリアパスは、遊び方などなど。
近所と実家と田んぼで構成されていた私の今までの生活とは、とてもかけ離れていたんです。

この差は何なんだろう?
生まれた場所によって生き方が自動的に決定されているのだろうか?
そんなことすら思ったくらいに。
地元で生きてきたことを悪いと思ったことは一度もありません。
でも、あまりにも視野が狭まっていた。子どもの頃に見ていた「人生」に対するビジョンが、あまりにも違うのではないか、そんな気がしたんです。
この差を生む原因は何なのだろうかを整理してみたのが、本日の記事です。
▼こちらの記事を読んでからだと、さらに考えが理解しやすいと思います。

※先に言っておきますが、「地方の子でも視野が広い子はいる」という主張は別のところでお願いします。
個別具体的な話をしているのではなく、「環境」の話をしているんです。
人が自己を広げたいと思う鍵は「知的好奇心」
さて、先ほどから「視野が狭くなる」という抽象的な言葉で済ませていましたが、ここをもう少し具体化したいと思います。
先日、自己分析の記事で、マズローの段階欲求説について言及しました。
▼詳しくはこちら

「視野を広げる」というのは、この最上位に位置する「自己実現の欲求」にあたるもので、自分が何者かになりたい、もっと理想に近づきたい、という欲求です。
子どもや学生がキャリアを考える上でとても重要になる欲求で、自分の成し遂げたいこと、なりたい姿を描くために必要です。
そして、この自己実現の欲求がどこから生まれるかと言うと、「知的好奇心」です。
様々な要因から生じる知的好奇心が、自己実現のためのモチベーションとなり、その自己実現による達成感や、視野の拡張が次の好奇心を加速させます。
こういった流れで、子どもは(人は全員そうかも)自分の成し遂げたいことを見つけて、努力をするのだと思います。
子どもが将来の夢を持つとき、「なんとなくかっこいいな」と思うのでしょうが、きっと心の中ではこのようなサイクルが回されているんじゃないかなと思います。
野球に興味を持った子どもを例に出してみます。
人生で初めて野球を観に行って感動する(刺激)
↓
もっと野球について知りたいと思う(知的好奇心)
↓
野球について調べ、自分でもキャッチボールをしてみる(自己実現)
↓
もっとうまくなりたいと思う(知的好奇心)
↓
…
こういったものです。
しかしながら、このサイクルのどこかがストップしてしまうと、人は「自分のやりたいこと」を見失い、「思考停止」してしまいます。
地方では、このサイクルの中の「知的好奇心」が奪われている、というのが私の主張です。
地方では「知的好奇心」が奪われている
先に言っておきますが、ここでの主張は、都会が良くて地方が悪い、またその逆である、といったものではありません。
あくまで、地方はこういう現状であるところが多いんだ、ということを体験をもとに伝えたいだけなんです。
周囲に「大学生」がいなかった
地方には「大学生」を身近に感じて、そこへの好奇心を発揮することが簡単でない場合があります。
人は実物を見ないと、「自分の世界にあるものだ」と感じられません。
極端な例を出すと、FacebookのCEOであるザッカーバーグ氏のことは、誰でも聞いたことがあると思いますが、現実味をもって感じられるでしょうか。
私にとって、実在しているのは理解していますが、メディア上の存在以上に近く感じられません。
そのため、何かを解決する際の選択肢として「ザッカーバーグ氏に相談する」という選択肢は選びようがないんです。メディアの中の存在なんですから。
おそらく、ザッカーバーグに会った経験があればそうでないのでしょう。
都会で育った方には意外かもしれませんが、「大学生」を対象としてもこの現象が起こりうるんです。
私の生まれ育った市内には、大学はありません。
親戚に大学に行った人もいません。
そんな中でイメージする大学生は「想像上の存在」だったんです。

大学生って何してるんだろう、研究ばかりしているのかな?
将来はみんな学者になるのかな?
周囲の大人も大学に行った人は少ないので、自然と「高校を出たら働くのが世の常なんだな」と小さいころから考えていました。
極論を言うと、自己実現の場として「大学へ行って知見を深める」という選択肢が浮かびづらいんです。だって本物の大学生を見たことないんだから。
東京の街を歩いていると、高校生と大学生が同じ道を歩いていて、最初は愕然としました。
高校生、むしろ中学生の頃から、大学生を自分の延長線上に見られる環境があるんだと。
そんな知的好奇心を持つ機会なんてなかったな、と。
え?ネット上には今でも大学生が情報発信しているから、そんな格差はもうなくなった?
「情報にアクセスできるか」が問題ではなく「好奇心を生み出しうるか」の問題です。
▼一度この記事を読むのをやめて、こちらを読んでからにした方がいいと思います。

輝いている大人のロールモデルがいなかった
子どもが将来を考えて、自分の人生を決定する上で、自分が見てきた「大人」の像がとても重要になります。
地方では、「かっこいい」「こうなりたい」と思える、ロールモデルになる大人の数が少ないです。
東京に来た今、学生も含めて様々な「かっこいい大人」に合うことができていて幸せです。

本当に人には恵まれています…
音楽活動を行う大人、会社を起こして自分の実現する世界に近づいている大人、海外を飛び回っている大人…
様々な人がいて、みんなそれぞれの輝きを放っています。
地方では、そういった機会が都会に比べて圧倒的に少ないんです。人口の比では説明しきれないくらいに。
もちろん、地域の中で商売を行いながら、人々を幸せにしている方もいますし、素晴らしい活動をしている方もいます。
ただ、ほとんどがそうではない。
毎日を地元で過ごし、居心地のいいコミュニティの中で変化のない日常を過ごす。
そういう生き方を否定するつもりもありませんし、見下したいとも思いません。それぞれの幸せがありますからね。
しかし、子どもの自己実現の可能性を十分に確保するために、この差が存在していいのでしょうか。
さらに、地方には「地元で出世するのが人生の幸せである」という考え方が蔓延しています。
私自身、地元を出ることに対しては親からも懐疑的な目を向けられました。
そんな中で、自分のキャリア・将来に対して知的好奇心を持つのがどれだけ難しいか、想像に難くないでしょう。
文化や教養に触れる機会が無かった
上野駅に降り立ってみてください。駅を降りて徒歩数分で、多くの名画や彫刻が楽しめる美術館が揃っています。
そこから20分も電車に乗れば、六本木の国立新美術館にだって行けますね。
美術館だけではありません。博物館や図書館、映画館、歌手のライブなど、文化的なものに触れられる場所も時間も、都会と地方では圧倒的な差があります。
電車に長い時間乗って、地方都市に行かなければ何もできない環境だった自分にとっては、羨ましいことこの上ありません。

今ではインターネット上で様々な知識が得られるよ!!
こう思うかもしれませんが、そういう話じゃないんです。
成長期、幼いころに「生」に触れる機会がどれだけ多かったか、これって大人になってからの会話や日常のふとした場面での振る舞いに大きく影響してくるものだと思います。
そもそも、地方の人のインターネットリテラシーは都会に比べて高くなく、「調べればわかる」ということが認識できていない場合も多いです(これも知的好奇心を奪われた結果だったり)。
ちなみに、光栄なことに植物と動物はいます。
「文化と教養」か「自然」か。
これに関しては「隣の芝は青い」と言われればそれまでですが、「知的好奇心」の土台を形作る段階において、文化や教養にどれだけ触れることができるかによって、その厚みが変わってしまうのではないかと思っています。
最後に
以上をまとめると、以下のようになります。
- 「大学生」を自分の進路の延長線上に見ることができない
- ロールモデルとなる大人が少ない
- 文化や教養に触れる機会が少ない
私はこの問題意識から、大学生活の中で、地方に住む高校生にキャリアや進路の支援を行うことに注力してきました。しかし、個別具体的な対策だけでは限界があり、現状は変化しません。
地方の教育やキャリア観を抜本的に改善して、子どもが自らの「なりたい姿」を描き続けられるような社会を作りたいですね。
幸いインターネットが発展してきて、情報が届きやすい社会になりつつあります。
より良い方法を自分なりに模索していきたいですし、この記事を読んだ皆さんにもぜひ考えてほしいです。

本日もお読みいただきありがとうございました!
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